室屋義秀 経歴は?結婚している?家族は?借金について。マネーの虎で窮地脱出?
室屋義秀(むろやよしひで)は1973年1月27日生まれ、奈良県出身、福島県福島市在住のエアショーチームのメインパイロットです。
エアレースという飛行機を使って飛行技術や期待性能を競いあうスポーツのエアレーサーです。現役の空軍なども参加する競技でもあります。
タイムを競うのではなく技の難易度や完成度の高さで評価されるエアロバティックス型もあります。どれも日本ではメジャーではありませんね。
日本ではこの競技に関するコーチもいませんので、アメリカで訓練する必要があるそうです。
室谷義秀もその1人で、アメリカに渡って訓練をしながら小さな大会にでていました。お金も時間もかかるこの職業についた室谷義秀についてまとめていきます。
NHK総合TV11月15日(月)
22時
『逆転人生』
「フリーターから世界一のパイロットへ 福島で起きた奇跡 エアレース」女優川栄李奈もびっくり!現役空軍等世界エースパイロットが競うエアレースでどん底フリーター生活から世界一に輝いた室屋義秀さん奇跡サクセスストーリーhttps://t.co/dBLOB4eMpP
— フォーチュンクッキーマン (@1045suwa) November 8, 2021
室屋義秀 経歴は?
室屋義秀がパイロットを目指すきっかけは子供のころに見た「機動戦士ガンダム」の主人公でる「アムロ・レイ」に憧れたからです。
大学に入学後、航空部に所属しグライダーを使って飛行訓練を始めました。
1993年の20歳のときにアメリカへ行き飛行機のライセンスを取得しました。2年後の1995年に兵庫県但馬空港でおこなわれた「ブライトリング・ワールドカップ」にてリトアニア共和国出身のエアロバティックパイロットであるユルギス・カイリスの飛行をみて自身もエアロバティックスの訓練を始めることにしました。
1997年に再度アメリカへ行きコーチとつけて訓練をしました。競技会にも参加し、アドバンスクラス世界選手権では日本代表にも選ばれました。
2004年にエアロバティックスを始めるきっかけとなったユルギス・カイリス、ロバートフライとともにフォーメーションエアショーも行いました。
2017年に行われた競技大会では、初戦は敗退しましたが、第2戦と第3戦で優勝、最終的にあ年間4勝で1位となり、アジア人初の年間総合優勝を勝ち取りました。
他にも住友ゴム工業やレクさせともスポンサー契約を結んでいたり、NPOふくしま飛行協会を設立し理事を勤めるなどもしています。
室屋義秀 結婚してる?
室屋義秀は2005年の32歳のころに結婚しています。相手は一般女性で、名前は茂子(しげこ)といいます。
2005年はまだレッドブル・エアレースに参加しておらず下積み時代と思いますので、そういった苦労も一緒に乗り越えて、支えてきた相手ではないかと思います。
昔インタビューを受けた際に奥様はお顔も出してこのように話しています。「特にエアロバティックスをやっているから心配ではない。
海外にたくさん行くので治安や病気が心配、いい父親でありながら自分のやりたいこともやって、怪我をしないでいてくれたらいい。」と答えています。とても優しい方でしょう。
室屋義秀の妻や子供は?
室屋義秀には3人の子供がいます。
3人とも女の子で1番上の子は現在15歳くらい、真ん中の子は小学6年生か中学生になったばかりの13歳くらいで、3番目の子は11歳くらいです。
お年頃の女の子ばかりで賑やかですね。お名前などの詳細は奥様の情報同様に公開はされていませんでしたので不明です。
かっこいい職業についている自慢のお父さんと思ってくれてそうですね。
室屋義秀 機体を買うため借金?
室屋義秀は限られた時間とお金をつかって訓練を続けていましたが、なかなか先が見えず、自身でエアショーチームを立ち上げました。
ただし、ショーをして最上位を目指すにはそれなりの機体が必要となりました。当時はフリーターでお金をためては訓練を繰り返していましたので、多額の貯金があるわけでもなかったのです。
それで3,000万円の借金をして機体、「スホーイ26M」を購入することに踏み切りました。
この価格でも中古競技機なのが驚きです。また飛行機があればスポンサーもつくであろうという幻想も抱いていたようですが現実は非常に厳しかったようです。
室屋義秀 マネーの虎でピンチ脱出?
3,000万円の借金を抱えた室屋義秀はたまたま見ていたテレビ番組「マネーの虎」で窮地を救われました。
この番組に出演していた当時の生活創庫の堀之内九一郎社長が、女子大生の「エアロバティックスをやりたい」という話で600万円を投資しました。
このマネー成立した話をみて「自分のところにはすでに免許も飛行機もあるしこっちの方がいいんじゃないか」と思い、次の日に堀之内社長に連絡しました。
「お金がないがとにかく飛びたい。どうにかしてほしい」と頼み込みました。
堀之内社長は「夢があるなら続けなさい。足りない分は支援する」といって、生活創庫がスポンサーになってくれました。
2年間足りない資金はいつも堀之内社長が助けてくれ、エアロバティックスを続けることができたのでした。
室屋義秀のTwitterの反応
室屋義秀が操縦や機体を楽しみにカメラをセッティングしたりする人が大勢いますね。
飛行中に手を振ってファンサービスもすることもあります。
これは嬉しいですね。福島でいろいろな活動をされていますので、福島のみなさまの誇りでもあると思います。
〜夢と希望の白線飛行〜
中心部だけじゃなく島しょ部へも飛行されるというお心遣いが素晴らしい😊#室屋義秀 pic.twitter.com/3RPA08rUC2
— のり巻き (@norimaki_rn) November 13, 2021
こんばんは、🐸🍁🍄🌹🛩️
2021-1106 SAT #室屋さんのフライト#エアレース #福島 #福島エアパーク#室屋義秀 #エクストラ300 pic.twitter.com/FnECIa0pXu— SkyHi (@SkyHiF150216) November 6, 2021
朝から快晴ですね☀️
今日は笠岡市上空で「笠岡市民に贈る、夢と希望の白線飛行 Fly Over Kasaoka」が開催されます。午前11時〜正午ごろに空を見上げたら、室屋義秀 @Yoshi_MUROYA さんの飛行機が見えるかも✈️✨図書館からも見えるかな。 pic.twitter.com/sILo6r1swZ— 笠岡市立図書館ツイート局 (@kasaoka_lib) November 13, 2021
まとめ:
室屋義秀は福島県在住のパイロットです。タイムを競うエアレースや技の完成度を競うエアロバティックスのパイロットです。
幼少期に「機動戦士ガンダム」に憧れパイロットを目指し、大学では航空部に所属していました。
兵庫県但馬空港で行われたエアロバティックスの競技を見て、自身もアメリカへ行き訓練を受けることにしました。
日本ではエアロバティックスのコーチもいませんので、日本でこの道を歩むには難しく、たびたびアメリカへ行っては訓練を受けて大会に出場していました。
29歳の頃に3,000万円を借金して中古競技機を購入しました。しかしスポンサーが見つからずお金もなく困っていたところ「マネーの虎」を見て当時の生活創庫の社長、堀之内九一郎に直談判し、支援を得ることに成功しました。
2017年アジア人初年間総合優勝を獲得し、福島県からは県民栄誉賞が行われ注目を浴びるようになりました。
2022年から開幕するワールドチャンピオンシップエアレースに参戦することも決まっています。素晴らしい結果を残してくれると期待しています。